アラブエクスプレス展にて

”アラブ”、その言葉にどのような印象がありますか?
「石油」とか、「イスラム教」とか、ちょっと近寄りがたいとか・・・。

漠然とした「怖い対象」としてのイメージ、私もありました。
ただ身近なところでいうアニメの「ドラえもん」や「ディズニー」でアラブを取り上げたものを幼い頃接したとき、どこか心にぴりっとくるような強い刺激があったことを、私ははっきりと覚えています。
(「ドラえもん のび太のドラビアンナイト」だったり「アラジン」だったり・・・)

きちんと理解しないままの状態のときは、そう。
しかし、少しずつそこに住む人の生活・考え方・宗教・言葉に焦点を当てると、
実はとても奥深く、いかにステレオタイプの”アラブ”のイメージが蔓延しているかに気づくのです。


つい先日、東京六本木ヒルズ内にある森美術館にて「アラブエクスプレス展」を鑑賞してきました。


写真や映像など、様々な方法で観客を飽きさせない工夫がしっかりと凝られていましたよ。

そして五感に訴えるものも数多く。
音や色彩然り、どれも興味深いものばかりで時間を忘れてしまうほど。
アラビア文字も見る機会なんて、普段はそれほどありません。
アルファベットでも漢字でもひらがなでもハングルでもない、
波のようなすらすらした文字やデザインにうっとり。


「国とは何か」
「人種とは何か」
「宗教とは何か」
「生きることとは何か」



シンプルに、人間としての根本的な思考に触れられました。
日本だと、国を考えることもなく人種で差別されることもなく、
無宗教のまま、ただひたすらに日々を送ることが当然となっています。





作品群に触れて気づくのは「生と死に対峙する視点」。

生きることと死ぬことが、隣り合わせにあるということ。
争いはすぐそばにあること。身近な暮らしは不自由に溢れていること。矛盾や悲しみ、憤りが作品からこぼれ落ちるような、そんな実感が溢れかえっていて。





しかしながら、そこにはやはり「個人」がいます。
ひとりひとり、違う人生を歩んだ「人間」がいます。
私たち日本人と同じ「人間」です。




無理解や無関心ほど、悲しいものはないのだな、と痛感します。もっともっと、日本でもアラブ社会に対する理解が深まればいいな、と。また逆に、日本のステレオタイプ化されたもの=サムライ・ニンジャ・ゲイシャだけではない文化も彼らに知ってもらうことができれば。

もっと、互いに知らない世界を埋め合うように、パズルのピースを探し、はめ込むように、見える景色も広がっていくのではないかな、遠い距離も意識だけは近づくことができるのではないかな、と漠然と私は思うのです。

【yumihinoue】


Leave a comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です